こんにちは、人生の岐路って何回訪れるんだろう、タカハシです。
タイトルの二つは、私があまり持っていないものです。
そして欲している。
最近、このブログを友人とかに見ているよ、と言われ、なんだか照れくさい。
mixiにはほんと、何でも恥ずかしげもなく書いちゃうのにです。
まぁ、そんなわけで、こちらのブログにも、プロジェクト以外のことなども書いちゃおうってなわけで、まず普段アート系の仕事をしている私がなぜまちづくり系のプロジェクトをしているのかというのは、まぁ、ここに以前、循環プロジェクトとは何かというのに書いたので省きますが、まぁ、まちづくりだとは思っておらず。ただ世間ではこういうのをまちづくりと呼んでいたり、まちづくりという言葉は割とオールマイティーに様々なことに関わってくるから使っているだけなのでありますが。
まちづくりってね。いろんな人が団体つくって、動いたりしているんだけど、なかなか面白くて一緒にやりたいところってなかったりする。だから、自分でチームを作ってできることからやっちゃおうという感じ。そして今の循環チームが誕生しているのです。
そして私がリーダー。
本当はあり得ないような気もする。そんなに主張がある方じゃない。どんな人にもあわせられる。そんな私が、である。まぁ、性格はわがままなのでそれなりに主張があるのだけれど。それは生活とかそういうの。だけど仕事を始めてから8年目。いろいろな人と関わり、いろいろな仕事をやっているうちに、何となく自分の中の指標のような物ができて来たような気がする。本当は主張がある、そんな気がして来たのです。
昔から、チームのリーダーとかになることはまぁまぁ多いのだけれど。あまりうまくまとめきらない。普段から母性全開でいろんな人のお世話をしているのだけれども。それで慕われるのと、リーダーっていうのとはやはり違う。ちゃんと、チームを導いたり、マネジメントをしたりしなければいけない。そう思う。そして、最近特に、そうなりたい自分がいるような気がするのです。
年齢的なものもある。アラフォーならぬ、アラサーですから。立場的にも。経験的にも、やはりそういう場面に、否応なく立たされることもしばしば。そういうとき、やっぱり頭の中を、しっかり整理できていたり、考えを述べたり、説得したりすることができなければ。そうなんだけれども、なれていないせいか、できない。黙りこくってしまう。親しい人間にはできる。そして、自分よりその内容についての経験的知識がないような人には。でもいかにも自分より経験や知識が豊富そうな人に対しては、理論武装できない弱い自分を作り出してしまう。(ああ、これって、英語を、英語がしゃべれる日本人の前でしゃべれないのと似ているかもしれない。)
私は理論的に物事を考えたり、物事に対して批判的になったりができない。なんでだろうか。こういう仕事をしているのだから、特にクリティカルな思考というのは本当に大事なはずなのに、やはり苦手。なんでかということを考えてみる。すると、やっぱり、【批判】という日本語が持つ言葉の意味のようなものに対して、ポジティブなイメージがないから。批判的の物事を述べている人のイメージもあまりよくないからかもしれない。だからそうなりたくないというので、あまり人を批判的に見たりできなくなってしまったような気がする。まぁ、そのおかげでいろんな人のいいところを発見する能力に長けているのだけれど。しかしながら、今後このままではだめだという思いもあるのです。ほんとよ。
まぁ、リーダーになりたいのかなりたくないのかで言うと、たぶん、リーダー補佐的な役回りが一番向いているのだとは思うんだけれど。そうも言ってられない。今の私は、いるだけで給料がもらえるような時給的雇われ方は嫌だと思っているのだから。
そんなわけでですね、ロジカルな思考やクリティカルな思考を身につけようといろいろ本を読みあさっているところなのです。どうやったらそういう思考が身に付くことができるのか。私はそういう理論的な考え方のもと、理論的にしゃべれるようになれるのか。実験と言うか、まぁ、挑戦しようという訳であります。ですので、みなさま、こそっと応援してくださいね。そしたらそれはいろんな仕事に活かされるはず。です。
2008-12-02
ロジカルシンキングとクリティカルシンキング
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